壱岐はこんなとこ


壱岐の概要は、次のようになっています。

数値は、いずれも概算です。



長さ

  
東西15km、南北17km、
周囲140kmあります。
 
上から見る地、亀のこうらのような形をしています。

海岸線の長さは
190kmにもなります。














面積

 約138kuで、島の中では、全国で20位です。

 
琵琶湖の1/5の大きさの面積です。



人口

 平成25年5月現在で29,129人 。
 
 
 内訳は、男13,884
人、女15,245人です。

 3人に1人は高齢者です。

 世帯数11,703
世帯です。

 ちなみに、人口の一番大きい島は淡路島で15万人、次いで天草下島は87千人、佐渡島は72千人です。

 

平均寿命

壱岐には4つの町があります。

町ごとの平均寿命は次のようになっています。

郷ノ浦町 75.4 84.9
勝本町 76.0 83.9
芦辺町 76.1 85.1
石田町 76.9 84.5

これから、予想しますと、私の寿命もあと10年足らずです。

どうしましょう。

なお、壱岐での最高高齢者は107歳の女性です。

源氏物語の著者の紫式部や、枕草子の著者の清少納言が活躍した、平安時の平均寿命は、男性が58歳、女性が43歳でした。

女性の平均寿命が、男性よりも短いのは、当時は12〜3歳で結婚し、未成熟なからだで、出産していたために、からだに出産の負担がかかり、産後死が多かったから、と言われています。

今は、男性、女性ともに、平均寿命が伸び、女性の平均寿命が、男性の平均寿命を上回っています。


距離

 一番近いのは唐津港からで42km、博多港からだと76km、対馬の厳原からは68km、長崎空港からは94kmあります。

 壱岐は長崎県ですが佐賀県が一番近い距離の場所にあります。

 
朝鮮−対馬−壱岐−博多の距離は、それぞれ50km68km76kmあります。



アクセス

フェリーだと、東唐津港から1時間余、博多港からは2時間15分かかります。

高速船だと、博多港から1時間ちょっとかかります。


なお、長崎空港から飛行機も出ています。










所属

 長崎県です。

 その理由は、「壱岐はなぜ長崎県?」を参照してください。



構成

 壱岐は、1つの島ではなく、複数の島で成り立っています。

 そのなかで、人がいる島は、本島、大島、三島、若宮、青島の5つです。

 他に、無人島が24個あります。






住所・農村

壱岐の集落は、「触」(ふれ)と呼ばれる農村地帯と浦(うら)と呼ばれる漁村地帯に分けることができます。

農村の住所には、必ず「〜触」という、宛名がつきます。

触は現在100くらいあります。

触の語源については、いくつかの説があります。

1つは、
庄屋が藩からの回覧板である、お触書を村民に連絡する場合の、単位とするために作られた、というものです。

もう1つは、
韓国では、村のことを、「フレ」と呼ぶそうで、その言葉をそのまま日本に持ち込んだ、というものです。

2つめの説によると、フレは「ふれまわる」集団組織ではなく、人々が集まって住む「集落」のことである、ということになります。

いずれの説も、1理ありますが、古代から使用されていたのであれば、2説目の方に分があるような気もしますが、はっきりは分かりません。

どちらにしても、日本全国で、「〜触」という住所がつくのは、壱岐だけです。



農家のつくり

壱岐の農家はおよそ100200m位の間隔でポツンポツンと点在しています。

農家の建物の向きは、どこの建物でも同じですが、南又は南東向きで、背後には背戸山(せどのやま)と呼ばれる樹林があります。

背戸山は、風除けのためと、外敵が攻めてきたときに、家を隠すために作られました。

背戸山にはマツ、シイ、ヒノキ、スギどの常緑樹が多くあります。

農家の建物は母屋、隠居、物置、牛屋など、
34棟の家屋が普通は、並んでいます。

農家の庭先には自家用の小さな野菜畑があります。

上の写真は、江戸時代の農家のモデルハウスです。

もちろん、今は、こんな麦わら屋根の作りではありません。

屋根の造りは切り妻の瓦葺きになっています。

















住所・漁村

農村の触に対して、漁村は、「浦」(うら)と呼ばれています。

「郷の浦」というのは、その例です。


浦というのは港という意味です。

漁村の住所には、必ず「〜浦」という、宛名がつきます。

壱岐の農村が、点在しているのに対して、漁村は人家が密集しています。

隣と隣がくっつくようにして、海に面して建ち並んでいます。








産業

内陸部では農業が盛んです。

特に、深江田原平野(ふかえたばるへいや)という、長崎県では2番目に大きな平野もあります。



















これにたいして、沿岸部では漁業といった第1次産業が中心です。

製造、建設などの第2次産業もさかんです。

しかし、土木建設の分野では、公共事業が、全盛期の1/3に減っているため、みんな困っています。

1次産業37%、  2次産業18%、3次産業45%となっています。











山らしい山はありません。

そのなかでも、岳の辻が
212.9mで一番高く、次いで久美の尾の175m、男岳山156mと続きます。













発電所のある青島大橋が315mで一番長く、次いで、大島にあるさんご大橋の294m郷ノ浦大橋の179mと続きます。

















トンネル


壱岐にもトンネルがあります。

最長は、大石トンネル
375m、次いで郷ノ浦トンネル322m、山形トンネル301mです。














学校

小学校は18、中学校は4、高校は2あります。

いずれも、1校あたりの生徒数は少なく、統廃合が問題になっています。















壱岐には、2万3千台の車がいます。

この数字は、日本全国でも高い数字です。

1世帯に2台が所有している計算になります。

壱岐のバスの料金が高いし、バスの本数も少ないし、ということで、だんだんマイカーを持つようになりました。

マイカーのなかでも、軽自動車が7〜8割を占めています。

我が家は、3人家族ですが、車は3台あります。


土地利用

 耕地面積は4,200haです。

 森林は35%、耕地31%、道路宅地その他34%の割合です。

 
長崎県全体の耕地率は14%なので、県内の離島では最も高い耕地面積になっています。



ため池

ため池は、主に農業用に使用されています。

ダムもありますが、ダムは、農業用と飲料水用に使用されています。














壱岐では幡鉾川(はたほこがわ)が8.9kmで一番長く、次いで谷江川(たにえがわ)の5.1kmです。

幡鉾川の源流は意外なことに、住吉神社です。














気候

壱岐の周辺は玄界灘で、暖流の対馬海流が流れています。

そのため、夏は比較的涼しく冬は比較的暖かく、めったに雪も降りません。

最近は、温暖化の影響で雪が降らないこともありますが、それでも、ここ最近は、パラパラと降ることはあっても、積もるような雪は降りません。




言葉

壱岐で話される言葉は、壱州弁といって独特の響きがあります。

壱岐では、「原」という漢字を「はる」とか「ばる」と発音します。

たとえば、壱岐で唯一の清掃工場のある「高野原」は「たかんばる」と発音します。

ただ、「原」という漢字を「はる」とか「ばる」と発音するのは、壱岐に限らず、九州全般で発音されています。

たとえば、「春日原」という、福岡にある駅は「かすがばる」と発音されています。

また、壱岐では、「山頂」のことを「辻」(ツジ)といいます。

神功皇后の神話で出て来る「御津の辻」(みつのつじ)などはその例です。

また、「井戸」のことを、「ゴウ」といいます。

「鳥山井」(とりやまごう)というのはその例です。

「断崖」のことは、「滝」(たき)といいます。

鬼伝説で登場する「黒瀬の滝」(くろせのたき)はその例です。



市の花

壱岐市の花は、「スイセン」です。

「スイセン」については、「壱岐の花」「スイセン」を参照。


市の木

壱岐市の木は「まき」です。




















市の鳥

壱岐市の鳥は「めじろ」です。


市の花木

壱岐市の花木は「やぶ椿」です。

「やぶ椿」については、「壱岐の花」「やぶ椿」を参照。



防災放送

壱岐では、うるさいほど、防災放送などがあります。

たとえば、今月、何件火事があったとか、今月までの火事の件数の合計は何件だったなどです。

また、毎日、7時、9時、12時、5時などの時報があります。

これらの、放送は、とても、音量が高く、思わず、耳をふさぎたくなるほどです。

いなかだから、許されると思っているのか、分かりませんが、都会で、こんなことをしていたら、たちまち、騒音公害で、非難されるでしょう。

いなかは、騒音がなく、静かな雰囲気が売り物なのに、このような放送は、できるだけ、音量を下げて、ひそやかにやってほしいと思っています。



国道

壱岐にも、国道があります。

国道382号線です。

唐津ー壱岐ー対馬を結んでいます。

全長117.4kmあります。













交際費

皆さん、交際費という経費項目をご存知だと思います。

私は、東京で50年以上、生活した後、壱岐に住むことになりました。

当初、壱岐に引っ越す前は、壱岐はいなかなので、自給自足ができるので、都会ほど生活費はかからないと思っていました。

米は、田んぼで作れば米代はタダになるし、野菜も畑で作ればタダになる、と、思っていました。

しかし、実際には、都会では考えられないほど、お金がかかります。

私の、村では、神社の建物の建て替え費用として、毎月3千円、お寺の建て替え費用として毎月2千円は最低、集金されます。

さらに、交通安全指導のため、免許を持ってる人は、年間5千円、公民館会費年間2万円、神社のお祭りの費用に年間1万円、村の相撲大会のために5千円、遺族会費年間2千円、収穫祭の費用として年間6千円、お寺の行事のために年間2万円など、数え上げればきりがありません。

これらの、集金を拒否すると、平成版の村八分になるのです。

村八分の残りの2分は何だと思いますか。

それは、葬儀と火事です。

この2つのときは、村の皆さんが集まってくれるそうです。





また、年に5〜6回、道路や田んぼ、公園の清掃や草刈り、ゴミ拾いがあります。

これらの、共同作業に出ないと、一回あたり、5千円の罰金を払わなくてはいけません。

毎月、5万円の国民年金生活者にとっては、大変な金額です。

皆さん、いなか暮らしは、となり近所との付き合いが悪いとやっていけないのです。

だから、近所付き合いをわずらわしく感じる人は、いなかに帰って来ないようになります。










道路

皆さんが、壱岐に来られて驚かれることは、道路がすべて、舗装されていることです。

幹線道路はもちろんのこと、わき道や、田畑のあぜ道、山道など、舗装されていないところを探すのが、大変なくらい、簡易舗装されています。

皆さん、すでに、ご存じのように、壱岐は、離島で過疎地です。

そのため、離島振興法や過疎対策法の適用を受け、公共事業で道路をどんどん、造りました。

今は、公共事業も、最盛期の4割まで落ち込み、建設業界も不況の波が押し寄せています。









壱岐の地質

沖積層 1万年前〜現代
玄武岩 200万年〜1万年前
壱岐層 700万年〜200万年前
勝本層 2600万年〜700万年前

壱岐の地層は、左の図のようになっています。

一番古い地層は、勝本層(かつもとそう)です。

壱岐の北部にある地層で、砂岩、けつ岩、ぎょうかい岩から成り立っています。

勝本層については、壱岐の自然と風景「壱岐の土台石」参照。

勝本層の上にあるのが、壱岐層と呼ばれている地層です。

壱岐層は、壱岐の中央部、八幡半島、石田の久喜(くき)地方にあります。

壱岐層は、火山活動によってできた地層で、安山岩、流紋岩から成り立っています。

安山岩や流紋岩については、壱岐の自然と風景、壱岐のその他の自然と風景 「初瀬(はぜ)の岩脈」を参照。

壱岐層の上にあるのが、玄武岩です。

玄武岩は海岸に行けば、いつでも見ることができます。

玄武岩も火山活動によってできました。

壱岐を代表する玄武岩の風景は、壱岐の猿岩、壱岐の自然と風景「壱岐の左京鼻」を参照。

玄武岩の上にあるのが、砂や小石、泥が積もってできた地層です。

現在の田や畑の土が沖積層です。


弥生時代

弥生時代には、朝鮮半島や中国大陸から送られてきた、たくさんの土器や石器が壱岐に荷揚げされ、日本で3番目に特別指定遺跡となった、壱岐の原の辻(はるのつじ)で仕分けされた後、日本全国に運ばれました。

また、西日本や九州で生産された土器などが壱岐に運びこまれ、大陸に渡りました。

このように、壱岐は、日本と大陸とを結ぶ重要な中継貿易港であったことが分かります。

また、遣新羅使(けんしらぎし)や遣唐使が立ち寄る場所でもありました。











侵略

しかし、朝鮮や中国に近いということは、侵略を最初に受ける場所でもあります。

奈良時代〜平安時代にかけて、朝鮮半島の新羅の賊や中国大陸の刀伊賊(といぞく)の侵略を受けて、全滅の状態になりました。

また、鎌倉時代には、元寇という日本史に残る大事件がありました。

2回にわたる元寇で、壱岐は、またまた、壊滅的な打撃を受けました。











出兵

逆に、豊臣秀吉が朝鮮出兵をするさいの前線基地にもなりました。

また、太平洋戦争の時代には、壱岐と対馬との間を通る、アメリカやロシアの軍艦を沈めるための東洋一の大砲を造りました。

平成の時代の壱岐は、日本の島では珍しく、自給自足のできる島です。

周囲は、海に囲まれているので、魚はとてもおいしく、また、島の周囲は暖流が流れているので、壱岐全体の気候が温暖で、いろいろな農産物がたくさんとれます。