壱岐の国分寺



国分寺


臨済宗です。

国分という名前は、昔ここに国府があったから、この名がつきました。

聖武天皇は鎮護国家・五穀豊穣を祈るため、天平13(741)年、全国に国分寺及び国分尼寺を建立しました。

壱岐の国分寺もその1つです。

国分寺は、もともとは、阿弥陀寺で、長徳3(997)、恵心僧都が開きました。

元文3(1738)、国分寺と改名しました。

国分寺の旧地は阿弥陀寺(今の国分寺跡)です。

客殿には本尊、釈迦如来像があります。

仏殿には本尊、阿弥陀像があります。

本尊、阿弥陀像は、恵心僧都の作といいますが、後世に作り替えているので本物ではありません。

本物は阿弥陀寺にあります。





木造弘法大師坐像

ここにある、木造弘法大師坐像は、秘伝として伝えられており、60年に一度開帳されます。

ヒノキを組み合わせた寄木造りです。

現在は木眼をはめてありますが、当初は玉眼ではありませんでした。

衣の上に袈裟をかけ、右手に五
鈷杵((ごこしょ・人間の心の中の煩悩をうち砕き本来の仏性をひきだすための法具で)を持っています。

像高37.9cm

弘法大師(空海)は、若い頃唐の長安に学び、帰朝後高野山に金剛峯寺を創建し、真言宗を開いた平安時代の高僧で、仏教のみならず、多方面に活躍し、日本各地に多くの弘法伝説を残しています。

膝前底部に、「大進作、同拝興、佛所藤次郎、願主雄肝、大永八己戌十一月日」と、墨書きがあり、大進作です。

大永
8(1528)に博多の仏師藤次郎が招かれ、父の大進が造った像を、その子どもの藤次郎が修理したことが分かります。

弘法大師像は数多くありますが、時代的に古いものは少なく、室町時代の遺品として、とても貴重なものです。



雲版

版とは、禅宗の寺院で食事、座禅、法要等の時刻を知らせるためにだけ、たたいて知らせる金属製の版です。

雲の形をしているので雲版といいます。

承応四年(1655)、江戸時代、の銘があります。

片面式で、形も古風な作で、頭部上辺に日象を表し、縁周りに飾り鋲を鋳出しています。

47.4cm、横44.9cm


蛸足香炉

国分寺大師堂にあります。

鉄製。

禅院で用いられる香炉の一形式ですが、鉄製であることや8足が短い点などに特色があります。



請雨観音

享保7年(西暦1722年)、当田新田の開発のときに掘り出されました。