河童伝説


皆さんは、芥川龍之介の「河童」という本を読んだことがあると思います。

主人公が梓川(あずさがわ)のほとりで河童に会い、触ったとたん意識不明になって、気がついたら河童の国で世話になって、いろいろなことを経験するという話です。
 
この小説の中に書かれている河童は、頭に短い毛が生えていて、手足に水かきがついています。

耳はありません。

身長は1m前後。

体重は20ポンド〜50ボンド前後。

頭の真ん中には楕円形の皿があり、年をとるにつれてだんだん固くなってくる。

河童の皿の水がなくなると河童は力が出なくなる。

河童の皮膚の色は、保護色になっていて、カメレオンのように周りの色によって変化する。

腹には、ものをしまったりするカンガルーが持っているような袋がついている。

皮膚の感触は、ヌルヌルしていて触るとつるりと良くすべる。

腰の周りには何も身に着けていないで、スッポン、ポンである。

我々人間が真面目(まじめ)に思うことをおかしがる、同時に我々人間のおかしがることを真面目に思う――こういうとんちんかんな習慣を持っている。

たとえば我々人間は正義とか人道とかいうことを真面目に思う、しかし河童はそんなことを聞くと、腹をかかえて笑い出す。

また、人間の世界とは違って、雌(めす)が雄(おす)を追いかけまわして自分のものにしようとする。 

 と、まあ〜、こんな感じです。

上の写真は、福岡の天神で撮った河童の写真です。

壱岐にも河童にまつわるお話はたくさんあります。

ここでは、そのいくつかをお話しましょう。


果山(ハテツヤマ)の河童

 ここは、果山(ハテツヤマ)のふもとを流れる果川(ハテツガワ)という所です。

 昔、ここにはたくさんの河童が住んでいました。

 あるとき、あるさむらい(実はさむらいの名前も出典の書物には書いてあるのですが省略します)が、川のほとりに馬をつないでいたら、河童が出てきて、この馬を川の中にひきずりこもうとしました。

 しかし、力が弱いのでどうしても引っ張り込むことができません。

 しかたがないので、河童は馬についていた綱を自分の体に巻きつけて、引っ張り込もうとしました。

なかなか、執念深い河童ですね。

しかし、馬が、急に駆け出したために、綱を体に巻きつけていた河童は、引きずり回され、頭や体をさんざん地面に打ちつけて死んでしまいました。

このとき、河童は「果つる。果つる。」と言って死んだそうです。

「果つる」というのは、「死ぬ」という意味です。

河童が死んだ後、河童の霊がたたって、この周辺でいろいろな異変や不吉ことが起こり始め、住民や通行人が迷惑をするようになりました。

人々は、これは河童のせいに違いない、と考えて、果山に供養塔を立てて河童の冥福を祈りました。

この果山には、自然石の河童の供養塔が3本あるといわれています。

しかし、その3本の河童の供養塔はまだ見つかっていません。

見つかったらこのホームページでお知らせします。


黒崎村の河童

二位殿が、ある晩、午前2時頃、片苗にある観音様にお参りに行く途中、袖取川(そでとりがわ)にさしかかりました。

そこに、一匹の河童が出てきて、「馬に乗せてくれ」、と頼みました。

二位殿は、丑の刻参りに行く途中だったので、「用事があるのでその用事をすまして帰る途中に乗せてやろう」、と約束してお参りに行きました。


お参りから帰る途中、やはり、あの河童が待っていました。

二位殿は約束を破るわけにはいかないので、河童を馬に乗せることにしました。

そして、河童を馬に乗せると、グルグル巻きにして河童を馬に縛りつけました。


河童は、「どうして縛りつけるのか。」、聞きますので、二位殿は、「お前のような初心者が馬から落ちないようにするためにさ。」と答え、ますます強く結びつけました。


二位殿は河童の後ろに飛び乗り、馬を勢い良く走らせました。

余り勢い良く走らせ過ぎたので河童の頭についている皿の水が飛び散ってなくなってしまいました。

皿の水は河童の命です。

たまらず、河童は「助けてください。」と2位殿に頼みました。

二位殿は、河童の願いを無視して、なおも馬を走らせました。


やがて、比売神社(ひめじんじゃ)の近くにある二位殿の家の近くまで来たときには、河童はぐったりしていて命たえだえの状態でした。


二位殿は家来を呼んで、河童を馬から引きずりおろして、青竹をたきびで焼いて、ジュウジュウと音を立てて泡を出しているその青竹を河童の体に何回も押し当てました。

河童は抵抗する力もなくそのまま死んでしまいました。


ところが、その後いろいろ不吉なことが起こるようになりました。

村人たちは、これはきっと河童のたたりに違いない、と思い、六地蔵を刻んで河童の冥福を祈ったということです。

上の写真はその六地蔵です。

実は、この六地蔵については他の話しもあります。

壱岐では隠れキリシタンのことを河童と呼んだこともありました。

そこから、この六地蔵は隠れキリシタンを青竹で焼いて殺害した名残りではないかとも言われています。

こちらの話の方が真実性が高いと思われます。


光源寺の河童

 このお寺は光源寺といいます。

 写真の撮り方がまずかったのか、左に傾いています。

 住職に話を聞いたときに、数年前の福岡西方沖地震でこのお寺が大きな被害を受けて傾き、そのために建てなおさなければいけないそうです。

 















ここにも河童の話が残っています。

昔、坊さんが馬を洗っていました。

そこに河童がいろいろいたず゛らをしてきました。

そこで坊さんは、河童の手を引き抜ました。

困った河童はあやまり、手を返してもらう代わりに、これからは絶対にいたずらをしません、と書いた証文を置いていきました。

この河童が書いたという証文が光源寺に残っています。