少弐公園(しょうにこうえん)


少弐公園


芦辺港の裏手にあって、とても見晴らしの良いところです。

の一帯は竜神崎といって、大変景色が良く、公園の頂上から見下ろす景色は絶景です。

元寇(弘安の役)のとき、激しい戦いがあった古戦場でもあります。

元寇については、「元寇」参照。

毎年、4月になると、地元の青年団主催の、凧揚げ大会が開催され、200人ほどの人が参加して、50以上の凧が大空に舞い上がります。







絶景

海岸の先方には、小さな神社の鳥居が見えます。

少弐公園に来たら、ぜひ、海岸を散歩してください。


















遊歩道も整備されています。


















そなれの木

写真の木が風によって反対方向に曲げられています。

写真の左側が海岸で、海岸から吹き上げてくる厳しい風雨のために、木の枝が、全部
反対方向に曲げられてしまいました。

自然の厳しさを感じさせられます。















少弐資時

少弐資時については、「元寇」参照。
















碇石(いかりいし)

  
碇石については「壱岐の弘安の役」を参照。





















のろし台

大和時代、朝鮮半島の支配をめぐって、新羅と唐の連合軍と百済(くだら)が対立していました。

大和朝廷は、百済を助けるために、
中大兄皇子(なかえおおえのおうじ)を派遣し、白村江
(はくすきえ)で戦いましたが新羅と唐の連合軍に敗れました。

400隻余りの日本水軍は全滅し、百済も滅びました。

その後、新羅と唐が日本本土を攻撃するのではないかと恐れた、大和朝廷は、翌年に対馬、壱岐、筑紫などに防人と烽
(とぶひ)を置きました。

烽とは、のろしのことで、信号用の火煙です。

高い場所で、火をたいて、夜は火の光によって、昼は煙によって、緊急を知らせました。

使船が来たときは1個、賊が来たときは2個、200隻以上の賊が来たときは3個を放つようにしました。

壱岐で打ち上げられたのろしは、筑紫―瀬戸内海―大和―生駒山―春日山―都と伝わりました。

鎌倉時代には、煙を良く立ち上らせるために、オオカミの糞を使ったので「狼煙」と書くようになりました。


防人は、筑紫(ちくし)、壱岐(いき)、対馬(つしま)などの北九州の防衛にあたった兵士たちをいいます。

主として東国の農民があてられ、
3年間の任期で壱岐や対馬の守りにつかせました。

防人に東国の農民があてられたのは、東国は大和朝廷によって新しく征服された地域であり、また当時、勇猛な兵士は東国の農民出身者であると信じられていたからです。

防人に選ばれると、武具、軍装は自分で準備しなければならず、また、難波津(なにわづ 大阪)までの費用や食料も全部自分で用意するのでその負担だけでも大変でした。

壱岐には150人くらいの防人がいました。

壱岐では、警備をするほか、
自分達の食料も畑でつくるという生活だったので、大変だったろうな〜、というのが実感です。

休みは10日に1回、10人単位で1チームを作りました。

任期の3年を過ぎても、帰国しないで壱岐で結婚したり、漁業を習って、そのまま住み着く者もいました。



胸像

この公園には、2基の胸像があります。

いずれも、この地域にゆかりのある人です。


倉光千秋氏は、漁業の振興に貢献した人で、定置網漁業を確立しました。

箱崎漁業協同組合の組合長として15年間勤めました。


真鍋儀十氏は、当初は教師をしていましたが、後に、政治家になり、衆議院議員として、19年間活躍しました。

特に、普通選挙制度の実現をめざして、邁進しました。









鶴の神

昔、漁師が「マビキ漁(しいら漁)」をしてたところ、羽を傷めた一羽の鶴が海面に浮かんでいました。

漁師はその鶴を拾い上げ、何日も面倒を見て、介護をしましたがそのかいもなく、死んでしまいました。

そこで、その死骸をここに葬り、供養をしました。

その後、漁師たちは、この石祠が祀ってある高台を山あてにして、漁をしました。

漁は、大漁が続き、人々はこの場所を「鶴の神」と呼び、参拝をしています。

「鶴」は「釣る」に通じるので、豊漁を祈願する人々が絶えなかった、といいます。















この高台からの景色は、絶景です。












千人塚


壱岐は鎌倉時代に、2回の元寇を受けました。

その際、たくさんの人たちが犠牲になって殺されました。

壱岐には、いたるところに、元寇の犠牲になった人たちの千人塚があります。

この小石の下には、たくさんの人たちの霊が祀ってあります。













壱岐神社

元寇で犠牲になった人たちを祀っています。

同時に、戦争で犠牲になった人たちの魂もここに祀ってあります。

壱岐では、一番新しくできた神社です。












龍蛇神(りゅうじゃしん)神社

少弐公園の切り立った崖を降りるとあります。

昔から、いろいろな言い伝えがある神社です。

その昔、少弐公園はうっそうとした雑木が生い茂り、野原も背の高い雑草だらけで、人が入るのも大変な場所でした。

近くに住んでいる人たちは、この林の中で薪にする木の枝を拾ったり、家畜に食べさせる草を刈り採ったりして生活してい

ました。

その時に、大蛇が向こう岸に向かって泳いでいるのを見たという人もいました。

また、5百円玉くらいの大きさの蛇のうろこが落ちていたともいいます。

さらに、松の大木と見間違うようなうろこを持っている大蛇がとぐろを巻いて寝そべっているのを見たという人もいます。

今は、このようにきちんと整備されていますが、それでも歩いていると、背中がゾクゾクするときがあります。


この神社の足元は、きれいな海岸になっていて、歩くこともできます。

よく、小さなみずだこがすいすいと泳いでいます。



















この景色は、龍蛇神神社のところから正面を見たときの景色です。

切り立った崖になっていて、安山岩特有の柱状節理をつくっています。     

崖の足元には蛇のうろこのような鉄平石がたくさん積み重なっています。