壱岐島四国八十八カ所霊場

壱岐島四国八十八カ所霊場とは 

壱岐島四国八十八カ所霊場は、本場の四国霊場八八番札所に、お参りできない方のために、壱岐の各地のお寺に置かれた札所をいいます。

中心になっているお寺は、勝本町にある金蔵寺です。


八十八
という数字は、男の厄年42歳、女の厄年33歳、それに子供から大人になる13歳を足したものです。


厄除けをして、無病息災を祈るという、巡礼は、弘法大師の命日である、旧暦の321日を中心に行なわれます。


出発点は金蔵寺、終点は能満寺です。


金蔵寺は、
正面に、白山権現と呼ばれる、行場があり、急に切り立った崖や、鉄のはしご、鉄鎖があります。

壱岐には、霊場が、現在、番外や奥之院、などを合わせると、300箇所以上もあります。



中原慈本 

壱岐島四国八十八カ所霊場は、明治26年、中原慈本(じほん)という、弘法大師の熱心な信者と、その協力者によって造られました。

慈本は、山口県の出身で、明治24年の春、壱岐を訪れた時に、次のような夢を見ました。

「昔、この島にあった、神岳山本宮寺が、廃仏毀釈のとき廃寺となってしまった。この神岳山を復興し、それと同時に、壱岐島四国八十八カ所霊場を開創してほしい」というものでした。


慈本は、昔、本宮寺があった勝本町新城西に草庵を結んで住み、島内の熱心な弘法大師信者13名の協力を得て、活動を開始しました。

島内のお寺に弘法大師巡礼の必要性を話して、説得して札所にしてもらい、また、お寺のないところには新しく堂や庵を建てました。


その結果、
2年間で、お寺に19ヶ所、新築したお堂と庵69ヶ所を作りました。



その後、壱岐で、自ら巡拝を続けるとともに、島内の一般の人たちにも熱心に巡礼を呼びかけました。



明治
26年、慈本は、巡拝の途中、箱崎で、急病にかかり、森島家で急死しました。

信者達は、慈本が亡くなった場所に慈本堂を建立し、霊を祀りました。

また、慈本の草庵があった本宮寺跡に、本宮寺の末寺であった金蔵寺を移転して、神岳山金蔵寺として、「神岳山」を復興しました。






金蔵寺の本堂から大師堂へのぼる参道の途中に、慈本行者の等身大の石像が立っています。



 






 第1番 神岳山 金蔵寺

金蔵寺 真言宗 

本尊 釈迦如来

仏教の始祖で、紀元前5~4世紀頃の実在の人物です。

釈迦族の王子として生まれ、29歳で出家しました。

生まれた直後に、7歩いて、右手で天を指し、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言ったということです。

「天上天下唯我独尊」とは、一人ひとりが、みんな違っていて、それぞれが、聖なる目的(使命)を持って、この世に生まれてきた、という意味です。
35歳のとき、苦行では悟りを得ることはできないと考え、菩提樹の下で瞑想に入り悟りを開きました。


御詠歌 霊山の 釈迦の御前に めぐりきて、よろずの罪も 消えうせにけり

零山にある、釈迦の前で、念仏を唱えると、前世でつくったいろいろな罪が、消えてしまい、清らかなけがれのない身になります。



 

 2番 阿弥陀堂

本尊 阿弥陀如来 

インドの王子として生まれ、は四十八の願をかけて、厳しい修行をして、悟りを開き、如来になりました。

「念仏を行う者は必ず極楽浄土へ行ける」と説き、「無量寿如来」とか「無量光如来」とも呼ばれています。

阿弥陀如来の念仏は、「南無阿弥陀仏」、「ナンマンダブ」です。

阿弥陀如来は、極楽浄土から我々を見守り、全ての人を極楽浄土に導く仏様です。

御詠歌

極楽の 弥陀の浄土へ生きたくば、南無阿弥陀仏 口ぐせにせよ

いいですねぇ。

ただ、南無阿弥陀仏と唱えるだけで、極楽浄土に行くことができるのでよ。




 3番 岩熊堂

本尊 地蔵菩薩

お堂の中にいるというよりも、道端や、田畑の端に置いてある仏です。

「とげ抜き地蔵」、「イボ取り地蔵」、「子育て地蔵」、「子安地蔵」、「安産(腹帯)地蔵」、「田植え地蔵」、「裸地蔵」、「身代わり地蔵」、「縛り地蔵」、「延命地蔵」、「勝軍地蔵」、「水子地蔵」など、たくさんあります。


御詠歌


極楽のたからの池を思えただ、黄金の泉澄みたたえたる

人間には、たくさんの煩悩がありますが、それを払いのけて、黄金色に澄み切っている、極楽のたからの池の水だけを、思って生きなさい。





 4番 寺原田堂

本尊 地蔵菩薩 

お堂の中にいるというよりも、道端や、田畑の端に置いてある仏です。

「とげ抜き地蔵」、「イボ取り地蔵」、「子育て地蔵」、「子安地蔵」、「安産(腹帯)地蔵」、「田植え地蔵」、「裸地蔵」、「身代わり地蔵」、「縛り地蔵」、「延命地蔵」、「勝軍地蔵」、「水子地蔵」など、たくさんあります。

御詠歌

眺むれば
月白妙の 夜半(よわ)なれや、ただ黒谷に 墨染めの袖


四方を眺めると、月は明るく澄み渡っている。黒染めの衣を、はおる人はいないが、ここ黒谷には、墨染めの、法衣が、あちこちに見えます。

 


 第5番 東光寺

臨済宗

どっしりとした構えの、立派なお寺です。

全体が、墨色で統一され、堂々としています。

本尊 阿弥陀如来

インドの王子として生まれ、は四十八の願をかけて、厳しい修行をして、悟りを開き、如来になりました。

「念仏を行う者は必ず極楽浄土へ行ける」と説き、「無量寿如来」とか「無量光如来」とも呼ばれています。

阿弥陀如来の念仏は、「南無阿弥陀仏」、「ナンマンダブ」です。

阿弥陀如来は、極楽浄土から我々を見守り、全ての人を極楽浄土に導く仏様です。

御詠歌  六道の 能化(のうけ)の地蔵 大菩薩導き給え この世後の世


六道とは、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上の世界のこと。

六道で、迷い苦しんでいる人々を救ってくれる、能家(地名)の地蔵様、我々が住んでいるこの世でも、また、後の世でも、どうか救って、導いてください。



 第6番 高尾堂


本尊 薬師如来

人々の病気を治してくれる如来で、左手に薬壺を持っています。

右手を上げているのは、心配している心を取り除き、安心させるためです。

痛いところへすぐ右手を持っていく、習慣がありますが、これが「手当て」と、呼ばれるものです。


御詠歌

かりの世に 知行争う むやくなり、安楽国の 守護をのぞめよ


かりそめにに住んでいるこの世で、金や財産の事で争うのはなんのとくにもならない。死んで持っていくことはできない。

争い事などやめて、極楽浄土に行くことだけを、考えなさい。


そうは言われても、やはり、老後のために、お金は必要ですよねぇ。

でも、お金が大事だと思うことじたいが、修業がたりないということですね。

私は、いつも、妻から、お金が足りない、お金が足りない、もっと、仕事をしなさい、と、言われ続けております。


弘法大師様、お慈悲をください。

現実は、厳しいです。





 第7番 甚願田堂

本尊 弘法大師

弘法大師・空海は、平安時代、香川県、善通寺で生まれました。

諸国を巡り、人々の苦しみや悩みを解決したり、ため池を修築したり、各種の土木工事を指導したり、文化の恩恵を受けない大衆のために、綜芸種智院を開き、貴族や金持ちではなく、一般民衆を対象に、教育をしています。


御詠歌 

人間の 八苦(はっく)を早く 離れなば、到らんかたは 九品十楽(くぼんじゅうらく) 

人間が持っている、八つの苦しみから早く解放されたら、行く所は、九品の浄土十種の楽しみがある、極楽浄土に行くことができます。

八苦とは、肉体の四つの苦しみ(生きている苦、年老いる苦、病気の苦、死ぬ苦)と、精神上の苦(別れの苦、怨み・憎しみに会う苦、求めるものを手に入れることができない苦、心身の苦)をいいます。

九品とは、往生のしかたで、極楽浄土にある九つの等級をいいます。

上品・中品・下品の3つに、それぞれ、上生・中生・下生を組み合わせたものです。

十楽とは、極楽浄土にある十の楽しみをいいます。




 8番 長尾堂

本尊 千手観世音  

本当に千本の手をがあるものも有りますが、多くは、42本の手で代用しています。

それぞれの手に目が有ります。

無限の慈悲で人間以外の生き物も全て救います。

顔は十一面あります。


御詠歌

薪(たきぎ)とり水熊谷(みずくまだに)の寺に来て、難行するも後の世のため

 

水熊谷の寺に来て、たきぎをとったり、水を汲んだりして苦労するのは、極楽浄土に行くための苦労なので、十分、励みなさい。




9番 阿弥陀堂

本尊 阿弥陀如来  

インドの王子として生まれ、は四十八の願をかけて、厳しい修行をして、悟りを開き、如来になりました。

「念仏を行う者は必ず極楽浄土へ行ける」と説き、「無量寿如来」とか「無量光如来」とも呼ばれています。

阿弥陀如来の念仏は、「南無阿弥陀仏」、「ナンマンダブ」です。

阿弥陀如来は、極楽浄土から我々を見守り、全ての人を極楽浄土に導く仏様です。


御詠歌

大乗の 誹謗(ひぼう)もとがも ひるがえし、転法輪(てんぼうりん)の 縁とこそきけ

 大小の法にはずれていることや罪も、如来の説法を聞けば、ひっくり返して、正道を悟ることができます。






 10番 向町堂

本尊 千手観世音 


本当に千本の手をがあるものも有りますが、多くは、42本の手で代用しています。

それぞれの手に目が有ります。

無限の慈悲で人間以外の生き物も全て救います。

顔は十一面あります。


御詠歌  欲心をただ一筋に切幡寺(きりはたじ)、後の世までの障りとぞなる

 欲張りな気持ちを持つことは、バッサリと、切り離しなさい。後の世までの障りになるのですから。

 






 11番 長徳寺

曹洞宗

ここにある、阿弥陀如来立像は、廃寺となった暦応寺の本尊で、平安時代末期に、製作されたものです。


本尊 薬師如来  

人々の病気を治してくれる如来で、左手に薬壺を持っています。

右手を上げているのは、心配している心を取り除き、安心させるためです。

痛いところへすぐ右手を持っていく、習慣がありますが、これが「手当て」と、呼ばれるものです。




御詠歌  色も香も 無比中道の 藤井寺、真如の波の たたぬ日もなし

 女性の色気に迷うのも、ほどほどにしてのめり込まなければ、波がたつこともありません。

まったく、その通りでございます。




12番 中尾堂

本尊 阿弥陀如来  

インドの王子として生まれ、は四十八の願をかけて、厳しい修行をして、悟りを開き、如来になりました。

「念仏を行う者は必ず極楽浄土へ行ける」と説き、「無量寿如来」とか「無量光如来」とも呼ばれています。

阿弥陀如来の念仏は、「南無阿弥陀仏」、「ナンマンダブ」です。

阿弥陀如来は、極楽浄土から我々を見守り、全ての人を極楽浄土に導く仏様です。



御詠歌

後の世を 思へば恭敬(くぎょう) 焼山寺(しょうさんじ)、死出や三途の 難所ありとも

焼山寺に行くには、山は高く、坂は険しく、難儀な場所だが、死んでから行く死出の山(人が死んだら行くという、冥途にある険しい山)と、三途の川という、難儀な場所の事を思えば、大変なことはないのです。

死んでからも、苦労しなければいけないのですねぇ。




 13番 倉本堂

本尊 十一面観世音

その名の通り、顔が11個あります。

11個の顔があるので、全ての方向を見ることができて、いろんな所で、苦しんでいる人を、多く発見し、救い出すことができます。

左手に蓮華をさした、水瓶を持っています。

前3面は、穏やかな顔をした菩薩面、左3面は、悪人をこらしめる分怒面、右3面は、優しい顔をしている狗牙上出面、後一面は大笑いしている大笑面、頂上は人に仏道の教えを説く仏面となっています。

各面には阿弥陀仏の宝冠がついています。



御詠歌

阿波の国 一の宮とや ゆうだすき、かけてたのめや この世後の世

の世や後の世で、楽をして楽しむために、たすきをかけて、一生懸命に働くのと同じように、一心に仏にお参りし、お願い事をしましょう。


「ゆうだすき」とは、木綿のたすきのこと。


 14番 円福寺

本尊 釈迦如来  

仏教の始祖で、紀元前5~4世紀頃の実在の人物です。

釈迦族の王子として生まれ、29歳で出家しました。

生まれた直後に、7歩いて、右手で天を指し、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言ったということです。

「天上天下唯我独尊」とは、一人ひとりが、みんな違っていて、それぞれが、聖なる目的(使命)を持って、この世に生まれてきた、という意味です。
35歳のとき、苦行では悟りを得ることはできないと考え、菩提樹の下で瞑想に入り悟りを開きました。


御詠歌

常楽の 岸にはいつか いたらまし、弘誓(ぐぜい)の船に 乗り遅れずば

極楽の世界をめざして、懸命に漕いで行けば、弘誓の船に乗り遅れることなく、仏様が導いてくれ、極楽浄土に着くことができます。

「常楽の岸」とは、苦しみのない理想の世界、極楽浄土のこと。

弘誓(ぐぜい)」とは、仏や菩薩が、苦しんでいる人々を、救おうと誓うこと。

「弘誓の船」
とは、仏様が、人々を苦から救い、、極楽浄土の世界に導いてくれることを、船に乗ると、たとえたもの。




 15番 大石堂

本尊 薬師如来

人々の病気を治してくれる如来で、左手に薬壺を持っています。

右手を上げているのは、心配している心を取り除き、安心させるためです。

痛いところへすぐ右手を持っていく、習慣がありますが、これが「手当て」と、呼ばれるものです。



御詠歌

薄く濃く わけわけ色を 染めぬれば、流転生死の 秋のもみじ葉


秋の紅葉は、薄いものもあり、また、濃いものもあります。それと同じように、人間も、死んだり、生きたりを繰り返し、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の世界)を次々と巡ります。





 

 16番 天徳寺

曹洞宗  

本尊 千手観世音 

本当に千本の手をがあるものも有りますが、多くは、42本の手で代用しています。

それぞれの手に目が有ります。

無限の慈悲で人間以外の生き物も全て救います。

顔は十一面あります。



御詠歌  
忘れずも 導きたまへ 観音寺、西方世界 弥陀の浄土へ


観音様へ。私のことを忘れないで、西方にある極楽浄土に導いてくださるよう、お願い申し上げます。

 

 



 17番・19番天神川

本尊 地蔵菩薩 

お堂の中にいるというよりも、道端や、田畑の端に置いてある仏です。

「とげ抜き地蔵」、「イボ取り地蔵」、「子育て地蔵」、「子安地蔵」、「安産(腹帯)地蔵」、「田植え地蔵」、「裸地蔵」、「身代わり地蔵」、「縛り地蔵」、「延命地蔵」、「勝軍地蔵」、「水子地蔵」など、たくさんあります。





御詠歌

いつかさて 西の住居の わが立江、弘誓(ぐぜい)の船に 乗りていたらん

 
いつかは、寿命が来るので、そのときは、西にある、極楽浄土の我が館に弘誓の船に乗って、行きましょう

「立江」とは、立江寺のことだが、ここでは、「舘」、つまり家。


今までは、第17番札所は、阿弥陀堂で、第18番の種徳院と同じ場所にありましたが、なぜか、今は、第19番の天神川に併合されています。

阿弥陀如来は、どこにいったのでしょうか?





 


 18番 種徳院


本尊 釈迦如来 

仏教の始祖で、紀元前5~4世紀頃の実在の人物です。

釈迦族の王子として生まれ、29歳で出家しました。

生まれた直後に、7歩いて、右手で天を指し、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言ったということです。

「天上天下唯我独尊」とは、一人ひとりが、みんな違っていて、それぞれが、聖なる目的(使命)を持って、この世に生まれてきた、という意味です。
35歳のとき、苦行では悟りを得ることはできないと考え、菩提樹の下で瞑想に入り悟りを開きました。


ここに祀ってある阿弥陀像は、昔芦辺の浜に流れ着いたものだといいます。

あるとき、この像を修理するために、大阪行きの船に積んだところがその日から、大しけになって出航できません。

ある晩船頭の夢の中に、阿弥陀様が現れて、「大阪にやらないでくれ。大阪に行ったら腕をもぎ取られて、すり替えられるおそれがある」といいました。

像を船から降ろすと、しけはぴたりとおさまった、ということです。



古い本に、次のような文があります。

(文1)

種徳院の跡地には、大豆を植えても実がならない。


(文2)

昔、泥棒が、ここに安置されていただるまを盗もうとした。

だるまを背負って石段を下ろうとしたが、いつまで降りても下に着かない。

とうとう夜が明けてしまった。


(文3)
ある者が、石段を盗み、平戸で売った。

ところがその石は何度積んでも波に流され、とうとう石積みが完成しなかった。


(文4)
ある者が本尊を盗んで、自宅の天井裏に隠した。

そして人を集めて「本尊様がない」と叫んだ。

人々が大騒ぎして捜し始めた時「ここにあるぞ」といって、出して見せた。

その人はまもなく死に、家族も目が見えなくなった。


御詠歌


子を産める その父母の 恩山寺訪(とぶら)いがたき ことはあらじな


私を生んで、育ててくれた父と母。その恩を忘れないように、父母が生きているうちは訪ね、また、亡くなったら、弔うことは、当然のことです。



 第20番 桶川堂

本尊 地蔵菩薩  

お堂の中にいるというよりも、道端や、田畑の端に置いてある仏です。

「とげ抜き地蔵」、「イボ取り地蔵」、「子育て地蔵」、「子安地蔵」、「安産(腹帯)地蔵」、「田植え地蔵」、「裸地蔵」、「身代わり地蔵」、「縛り地蔵」、「延命地蔵」、「勝軍地蔵」、「水子地蔵」など、たくさんあります。



御詠歌  しげりつる 鶴の林を しるべにて大師ぞいます 地蔵帝釈


こんもりと茂った林に囲まれている鶴林寺。その林をしるべに、地蔵菩薩と帝釈天に囲まれて、弘法大師がいます。


「鶴の林」は、鶴林寺のこと。

 

 


 21番 長瀬堂

本尊 十一面観世音 

その名の通り、顔が11個あります。

11個の顔があるので、全ての方向を見ることができて、いろんな所で、苦しんでいる人を、多く発見し、救い出すことができます。

左手に蓮華をさした、水瓶を持っています。

前3面は、穏やかな顔をした菩薩面、左3面は、悪人をこらしめる分怒面、右3面は、優しい顔をしている狗牙上出面、後一面は大笑いしている大笑面、頂上は人に仏道の教えを説く仏面となっています。

各面には阿弥陀仏の宝冠がついています。



御詠歌  太龍の 常にすむぞや げに岩屋、舎心聞持(しゃしんもんじ)は 守護のためなり

「舎心嶽」という岩屋に、大きな龍がいつも住んでいて、人々を困らせていたので、弘法大師が、岩屋に閉じ込めました。

その後、「舎心嶽」という岩屋で、身を捨てて、求聞持の修業(ぐもんじほう・記憶力増進のための修業)をしました。

その修業は、閉じ込めた太龍のためだった、といいます。




 22番 小坂大師堂

本尊 釈迦如来 

仏教の始祖で、紀元前5~4世紀頃の実在の人物です。

釈迦族の王子として生まれ、29歳で出家しました。

生まれた直後に、7歩いて、右手で天を指し、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言ったということです。

「天上天下唯我独尊」とは、一人ひとりが、みんな違っていて、それぞれが、聖なる目的(使命)を持って、この世に生まれてきた、という意味です。
35歳のとき、苦行では悟りを得ることはできないと考え、菩提樹の下で瞑想に入り悟りを開きました。



御詠歌

平等に 隔てのなきと 聞く時はあら頼もしき 仏とぞみる

 仏様の慈悲は、みんなに、平等に、分け隔てなく、くださる。だから、、とても頼もしい仏様です。

 



 23番 棚江堂

本尊 不動明王

一般に、「お不動さん」の名前で親しまれています。

不動明王は、目を怒らせ、とても恐ろしい顔をしていますが、それは、仏法に従わない者を、無理矢理に救済するためです。

右手には、三鈷剣、左手には、投げ縄、背には、三毒を喰らい尽くす伝説の火の鳥の形をした炎を背負っています。

目は、右眼を見開き左眼をすがめるか、右眼で天、左眼で地を睨んでいます。

牙もあり、右の牙は上方、左の牙は下方を向いています。

一切の人々を救うまではここを動かない、と決意しているかのようです。
御詠歌

皆人の 病みぬる年の 薬王寺、瑠璃の薬を 与えまします

 
皆人は、病気になるものです。その時は、仏様が、効き目のある、良い薬を与えてくれます。



 24番 龍泉寺

曹洞宗  

本尊 観音菩薩 

困っている人、悩んでいる人を、すばやく見つけ、救済してくれる仏です。

聖観音、 千手観音、十一面観音、如意輪観音、馬頭観音、准胝観音などがあります。


御詠歌 

明星の 出ぬる方の 東寺、暗き迷は などかあらまじ


明星は、東の方向から出ます。その明星の出る方向にある東寺には、どうして、暗い迷いがあるでしょうか。迷いはありません。

 

 



 25番 八幡堂

本尊 地蔵菩薩

お堂の中にいるというよりも、道端や、田畑の端に置いてある仏です。

「とげ抜き地蔵」、「イボ取り地蔵」、「子育て地蔵」、「子安地蔵」、「安産(腹帯)地蔵」、「田植え地蔵」、「裸地蔵」、「身代わり地蔵」、「縛り地蔵」、「延命地蔵」、「勝軍地蔵」、「水子地蔵」など、たくさんあります。


御詠歌

法の船 入るか出るか この津寺、迷う吾身を のせてたまえや


我々を救ってくれる法の船は、この津(港)に入って来るのか、出ていくのか分からないが、法の船が出入りするなら、どうか、今、迷っている、私たちを乗せてください。

 

 



 26番 須気大師堂

本尊 地蔵菩薩  

お堂の中にいるというよりも、道端や、田畑の端に置いてある仏です。

「とげ抜き地蔵」、「イボ取り地蔵」、「子育て地蔵」、「子安地蔵」、「安産(腹帯)地蔵」、「田植え地蔵」、「裸地蔵」、「身代わり地蔵」、「縛り地蔵」、「延命地蔵」、「勝軍地蔵」、「水子地蔵」など、たくさんあります。


御詠歌

往生に 望みをかける 極楽は、月のかたむく 西寺のそら


だれもが、極楽往生を願っている。その極楽は、月が傾いている、西の方にあるのです。

 

 

 27番 塔ノ辻大師堂

本尊 十一面観世音  

その名の通り、顔が11個あります。

11個の顔があるので、全ての方向を見ることができて、いろんな所で、苦しんでいる人を、多く発見し、救い出すことができます。

左手に蓮華をさした、水瓶を持っています。

前3面は、穏やかな顔をした菩薩面、左3面は、悪人をこらしめる分怒面、右3面は、優しい顔をしている狗牙上出面、後一面は大笑いしている大笑面、頂上は人に仏道の教えを説く仏面となっています。

各面には阿弥陀仏の宝冠がついています。


御詠歌

み仏の 恵みの心 神峯(こうのみね)、山も誓ひも 高き水音


仏様の、誓いの心は、険しい山の神峰のようです。この神の峰は、険しく、高く、そこに流れている清水も、心地よい音を立てて流れています。

 


 28番 薬師堂

本尊 大日如来 

真言宗にのみ出てくる特殊な如来です。

すべての仏像は、大日如来が、時と場所を超えて変化した姿とされています。

観世音菩薩、地蔵菩薩、不動明王なども、すべて、大日如来の化身です。

曼荼羅(まんだら)は、宇宙の構図を現わしたもので、大日如来を中心に描かれています。

如来は、何も装飾を身につけませんが、大日如来は例外で、宝冠や腕輪などの飾りを身につけています。


御詠歌

露霜と 罪を照らせる 大日寺などか歩みを 運ばざらまし


露や霜、罪も、大日如来様の光に照らされれば、知らないうちに、いつかは、溶けてしまいます。だから、足を運んで、必ず、お参りしたいものです。

 


 29番 中尾堂

本尊 千手観世音

本当に千本の手をがあるものも有りますが、多くは、42本の手で代用しています。

それぞれの手に目が有ります。

無限の慈悲で人間以外の生き物も全て救います。

顔は十一面あります。


御詠歌

国を分け 宝を積みて 建つ寺の、末の世までの 利益(りやく)のこせり


聖武天皇の勅で、宝を積んで、建てられた国分寺。このお寺は、今に至るまで、みんなに、御利益を施してくれます。

「国を分け」は、国分寺のこと。



 30番 安国寺

臨済宗  

本尊 地蔵菩薩 

お堂の中にいるというよりも、道端や、田畑の端に置いてある仏です。

「とげ抜き地蔵」、「イボ取り地蔵」、「子育て地蔵」、「子安地蔵」、「安産(腹帯)地蔵」、「田植え地蔵」、「裸地蔵」、「身代わり地蔵」、「縛り地蔵」、「延命地蔵」、「勝軍地蔵」、「水子地蔵」など、たくさんあります。


御詠歌

人多く 立ち集まれる 一の宮、昔も今も 栄えぬるかな

 一の宮には、いつでも人が多く集まっている。昔も、今も、変わることなく、栄えています。


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