壱岐の掛木古墳


 概要

掛木古墳は、亀石(がめいし)という、壱岐のなかでも、特に、古墳が集中している地域にあります。

隣には、「壱岐風土記の丘」があります。

6世紀末~7世紀前半に造られました。

この古墳、一人だけで使用したのではなく、木棺の鉄釘が出ていることから、7世紀中ごろまで、何人かの家族が、後に追葬されていました。


円墳
です。


現在は、周辺がかなり削り取られていますが、南北22.5m、東西18m、高さ6.8m、あります。

  周辺が、削り取られる前は、墳丘は、30mほどある。大型の古墳でした。

古墳時代の壱岐は、壱岐氏という、豪族によって支配されていました。

この古墳は、その規模から考えて、壱岐氏に関係ある、豪族の墓ではないかと、考えられています。

国の指定遺跡になっています。


 造り方

この古墳の横に、看板があり、その看板に、古墳がどのようにして造られたかの説明があります。

その看板を、ここに紹介します。

古墳に使用されている、巨大な石は、この図のように、修羅(しゅら・図では、船の形をしているもの)と呼ばれる今の大型トレーラーのようなものに乗せて、コロやテコを使い、多くの人が引っ張って運びました。

今のように、クレーンや、トラックもない時代に、全て、人の力で、造られているという事は、権力者の横暴を感じるとともに、強制労働にかり出されていた、村人たちは、大変だっただろうなぁ、と思います。

この看板の図をよく見ると、むちを持って、監督している部分もあります。

いつの時代も、苦しむのは、一般の民衆ですねぇ。



構造 

   大きな一枚石を使用して、造られていますね。

石室は、前室、中室、玄室から成り立っています。


石室の全長は13.6mです。

玄室の長さは約3m、幅は約2mあります。

横穴式の石室です。


天井が低いので、中に入るときには、頭をぶつけないように、十分、注意してください。

私は、入るたびごとに、頭を、イヤというほど、ぶつけています。


水たまりが、何ヶ所かあるので、足元も、十分、注意してください。


天井からも、水が、ポタポタ、落ちてきますので、上の方も、ご注意のほどを。





 石棺

掛木古墳には、長崎県にはここだけにしかないという、珍しい、くり抜き式の家型石棺があります。

石棺は、壱岐で産出された、凝灰岩か柔かい玄武岩で、造られています。

石棺の全体の長さ1.9m、幅95cm、高さ70cmあります。

その、石棺の内側を、長さ1.5m、幅46cm、高さ30cmの大きさに、ノミでくり抜いてあります。

全体の、石棺の大きさに比べると、くり抜いた部分が浅く、その分、底の部分がぶ厚く、がっしりしています。

石棺の蓋(ふた)の部分の、2/3は、欠けています。

蓋(ふた)が、屋根の形をしています。





 出土品

ここの古墳からは、青銅鏡、金銅製環状耳飾(こんどうせいかんじょうみみかざり)、鉄製轡(くつわ)、畿内系土師器、木棺釘、土器、銅鏡片、金環(きんかん)、鉄製品などが、出土しました。


畿内系土師器が出たり、家形石棺などは、特に近畿地方との交流の深さを物語るもので、中央政権との深い結びつきが感じられるます。


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